寄稿者:橋本繁美
京の秋景色
深まる秋。街路樹も色づき、また葉を落としては冬支度。その分、冬の気配が日に日に濃くなってきた。京の紅葉の名所は数多いが、ライトアップも含め、多くの人が繰り出していると報道されている。思わず、コロナ禍は大丈夫かいなと心の中で叫ぶ私。
紅葉といえば、かつてJR東海『そうだ 京都 行こう』キャンペーンのポスター(鷹峰・源光庵)に「私は宇宙を、友人は人生を、考えていたのでした」。「紅葉が教えてくれたのは、季節だけではありませんでした。思い出深い秋の一日になりそうです」というコピーがあった。コピーライター太田恵美さんの名コピー。同じく、善峯寺のポスター「子どもは ひと夏ごとに、おとなは ひと秋ごとに、」「なにか大事なものを身につけてゆくように思います」。樹々を彩る華やかな紅葉とともに、そんなコピーを思い出す。秋だな、哲学的というか、考えさせられるな。
おまえの噺は、面白くねぇな。
どきっ。先月、『桂米朝一門の会』という落語会に行ってきた。もちろん面白かった。楽しかった。だが、かなしいことも。10月7日81歳でお亡くなりになった古典落語、人間国宝の柳家小三治さんが、『長短』を演じたところ、「おまえの噺は、面白くねぇな」と師匠の四代目柳家小さんに言われた。本人は衝撃を受け、噺の本質を考えるようになったと語る。
「みんながやっているのは笑い話で、噺じゃねぇ。落語は“お噺なんだ”」と言われた。これはね、 奥が深かったですね。(略)せりふは心から出るもので、せりふが先にあって後から心がついてくるもんじゃないんだよ。お客さんと一体になって噺を共有して、一つの空間で作っていくのが落語だと。落語はくり返してやっているから、慣れて、飽きてきます。すると当然、それが表へ出てきて、お客さまもつまらなくなっちゃう。私も聴いていて、そう思います。で落語をおもしろくやるコツは…秘中の秘です。
師匠は「落語は初めて聴くお客さんに喋るつもりでやれ」って言った。「客もよく知ってる。はなし手もよく知ってる。だけど噺のなかに出てくる登場人物は、この先どうなるのか何も知らない」これには勇気をもらいましたね。(略) 噺に出てくる人の心に寄り添わないと噺はできないって気づいたのかもしれない。それに、かなしさを笑いでまぎらわしてしまおうっていう、落語そのもののかなしさっていうものがあるのかもしれないね。考えてみると、笑いの陰に必ず、かなしいとか、さびしいとかってものがついてまわる。それは日本の芸能の持っている、ひとつの基本かもしれませんね。(略)
柳家小三治(2019). どこからお話しましょうか 柳家小三治自伝 岩波書店
実にいい話。おっしゃるとおり、奥が深い。飄々としているように見えて、とことん考え抜かれた緻密な芸が聴衆の心を捉えた。落語に対する実直な姿勢を貫いた噺家だった。おすすめの演目「粗忽長屋」「千早振る」「初天神」「味噌蔵」「文七元結」など。小三治さんといえば、本題に入る前の「まくら」が面白いため、「まくらの小三治」の異名をもつ。オートバイやスキー、カメラ、オーディオや塩、俳句と多彩な趣味でも知られた。