寄稿48 奄美の島唄・中村瑞希

奄美探訪記と大島紬寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

奄美に来るまで、島唄を直接、聴く機会はなかった。最初、宴席で盛り上がると、三線を引きながら島唄が出て、その唄によってまわりは踊りだすという光景を目にしたとき、奄美には独自の素晴らしい島唄があることを知った。その島唄の歌い方も、以前と比べて変化してきたといわれる。伝統的なスタイルにとらわれず、自由に編曲して、三線だけでなくピアノで伴奏するなど多様化しており、これまでの島唄とはちがった不思議な世界を感じさせてくれる。老若男女関係なく、奄美島唄という地域独自の唄が日本全国、世界へと広がって愛されていくことは素晴らしいことだと思う。

メジャーになった元ちとせさんから、クラッシックの世界から島唄に入ってきた中孝介さん、若手のホープ中村瑞希さん。みなさん、唄が上手いだけでなく華やか、かっこいいタレント性を感じさせてくれる。一曲一曲、心に響くというか届く島唄は何度聴いても飽きることはない。唄に描かれている奄美の暮らしは昔のものでも、いまも若者たちに愛されている心やすらぐ島唄となっているのが凄い。遥かな時を超えても人の想いは変わらない。これぞ島人の宝だと思う。
話はいきなり、フォークシンガーの茶木みやこ(元ピンク・ピクルス)さんに飛ぶ。上田さんの大学時代の仲間ということもあって、上田さん企画「奄美でのコンサート」がおこなわれた。開催場所は笠利町「ばしゃやまビーチ特設会場」。美しき海をバックにつくられた砂浜特設ステージだった。そこで、アコースティックギターの弾き語りで観衆の心を鷲づかみ。あっという間に、一体となって愉しい時間が流れたのを覚えている。このときのゲスト出演が中村瑞希さんだった。マネージャーを兼ねたお母さんに連れられての登場だった。私の記憶では、2回目の奄美に来てもらったときが、ライブハウス『アシビ』でのコンサートだったと思う。地元の新聞社「南海日日新聞」「奄美新聞」で取材を受け、同行した京都のメンバーたちも写真に納まり、大きく掲載してもらった。さらに茶木さんは地元のFM局も出演してPR。平成20年(2008)7月26日、午後7時半の開演で、代表曲のひとつ「一人の道」「泪橋」をはじめ、当時の新アルバム「あるよ・ね」収録曲を含む約20曲を披露し、ライブは最高に盛り上がった。
このときだったか記憶がはっきりしないが、奄美で開くミュージシャン茶木みやこさんのコンサートにゲスト出演してくれたのも中村瑞希さんだった。奄美でのライブが好評で、京都でも二人のコラボによるコンサートが実現できることになる。その話は次回に。

◎茶木みやこ…京都市生まれ。大学在学中、小林京子と「ピンク・ピクルス」を結成。テイチクより「僕にさわらせておくれ」でレコードデビュー。東京オリンピック銅メダリストの円谷幸吉さんを歌った「一人の道」が大きな反響を呼び、シンガーソングライターとしてソロ活動を開始。2001年には斎藤ノブとの「LOVE IS ENOUGH」発表と同時に、本格的活動を再開。2008年、「あるよ・ね」をコロンビアエンターテイメントより発表。全国でのコンサートを展開中。

◎中村瑞希…奄美大島生まれ。小学生の頃から島唄を歌い始め、地元のコンテストで数多くの優秀賞を獲得している実力派。1998年、「第19回奄美民謡大賞」で新人賞に輝く。2003年、「第24回奄美民謡大賞」を受賞。「平成15年度民謡民舞全国大会・浦本杯争奪戦」(日本民謡協会主催)で優勝。「平成17年度民謡民舞全国大会」において日本一の栄冠に輝く。まさに奄美島唄も若手ナンバーワンの歌姫。
(*2010年のリーフレットより引用)

南海日日新聞
南海日日新聞 当時の記事
奄美新聞
奄美新聞 当時の記事