寄稿41_s 京で笑う吉本新喜劇

寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

先日、京都祇園にある吉本新喜劇を観に行った。以前、お世話になった放送局の制作局長だった村田さんの招待で寄せてもらった。かつて私が若いときは、新京極に花月寄席があったが、長い間、姿を消していた。祇園に復活して10年。場所はかつて映画3本立の祇園会館をうまく利用されている。漫才が4組あり、おなじみの新喜劇を楽しませてもらった。小学校の頃から土曜日、家のテレビでみて育った私には、岡八郎や花紀京のやりとりが好きだった。ふる~懐かしい。平三平の「あ~ほ~」もあったなぁ~。大人になって仕事で、少しだけ吉本の芸人さんに取材をさせてもらったことがある。若手からベテランまで、みなさんプロの芸人のまえに、しっかりとした社会人で、逆にいろんなことを教えていただきました。正月向けの迎春寄席は、チャーリー浜さんの姿もあった。村田さんは「はまぐり劇場」をやっていられました。面白かったなぁ~。番宣と題して、大阪・なんば花月で吉本のみなさんにお世話になったこともあったなぁ。編成の貞弘さんのおかげだ。

綾傘鉾(善長寺)の町内には、吉本新喜劇の小道具等を担当されていた北村徳三さん、みんなからは徳さんの愛称で親しまれていた。上田さんは幼少時からよくご存知。綾傘鉾後援会にも、いくよくるよさん、チャンバラトリオと吉本関係の方も入れてくれた方で、個人的にも可愛がっていただいた。4、5年前に、毎日放送で綾傘鉾を紹介してもらったとき、間寛平さんが「徳さんとこや!」と開口一番にいってもらったあの驚きと歓び。仕事や個人的に、築いてこられた吉本つながりが、いまも繋がっているのがうれしかった。

ラジオでは、大好きだった落語家の笑福亭仁鶴さんの「日曜想い出メロディ」で逢えたときは最高にうれしかった。私が高校生のとき、「うれしかるかる。どんなかなぁ~…」など、深夜に流れてくる声に心を奪われた。MBSヤングOh!Oh!もよかったな。大人になってから、実際に落語は聞きに行った1ファンだが、話などできるわけがない。それが仕事を通して実現できたたときはうれしかった。といっても、番組の宣材用の写真とごくごく簡単な取材だったが、一生忘れない時間だった。日曜日の朝はやく、放送局の駐車場には仁鶴さんの愛車がとまっていた。残念ながら、訃報が届くたびに、元気だった昔の姿が脳裏によみがえる。みなさん、お世話になりました。(笑いの話が、ひっくりかえってしまった。失礼)