投稿者:ウエダテツヤ
繁華街から市内の端の方へ引っ越したことで街からもらっていた刺激を失った私。環境が変わり徒歩の楽しさが激減したことは以前触れたが(94 ただ街を歩く事が案外楽しかった)その引っ越しをさらに大きく上回る環境変化が子供だった。
母になっても変わらず着物を着ている人達が周りにいらっしゃったので「私も変わらず着る、着られる」と当然のように思っていたのだけれど、そのハードルは想像よりずっと高かった。
状況的に父になった喜びとは裏腹に、自分に足りないものが驚くほど沢山あることを日に日に実感していく、そんな日々だった。喜びを不安や悩みが覆い、自分の至らなさに愕然とするその連続の中で、倦怠期にあった着物と良い関係を築く気持ちは湧かず、溝はむしろ深まり、終いには着たくもない、見なくもないという闇に陥った。着物生活暗黒期だった。
抱っこ、ヨダレをはじめ着物を着崩し汚すイベントは盛りだくさん。実用が勝り、当然のごとく出掛ける時の選択肢から正絹は無くなり、さらに「汚したくない着物は着ないでおこう」と思うようになった。公園に出掛けたり自転車に乗せたり走り回るのを追い掛けたりするうちに、とうとうムキになっていたものも崩れて「洋服のほうが楽やな」「着物はやめとこう」と思うようになっていった。
袴にベビーカーは「子連れ狼(知らない人も多いのかしら)」みたいでちょっと面白かったけれど、ファッションとしてウキウキはしなかった。とにかく洋服でベビーカーを押す方がその時の私には自然だった。
ここまで自己顕示のように「やっているぞ感」(79 頭を過るけれど意地になって着ていたことなど)を原動力に着物を着続けてきて、そのうち訪れた着物倦怠期にやられて弱っていた私の真ん中はとうとう崩壊し、着物を着る上で初めの原動力でありその後余計になった「義務感」という動機が洗い流された。ひとえに子供のお陰だった。
洗い流されたその後には「楽しく着物を着たい」というシンプルな気持ちが残った。改めて着物を考え直す。日常の中で着たくないことが大いにあるということを自分で受け入れ、どんなものが着たくて何が嫌で私はどうしたいのかを考え始めた。着物と距離を取ったことでようやく私なりの着物観が広がり始めた。