29 着物の卸はスーツ?

男と着物 - 回想録 -

投稿者:ウエダテツヤ

最近は催事などで店員さんだけでなく、メーカーや問屋の着物姿を見かけるようになったようだけれど、私が京都へ帰ってきた頃はまだそういう雰囲気はなかった。全然。

奄美大島で大島紬を勉強したり、小売店舗をやったり、海を見たりしながら結局二年を過ごした。もういい加減にしないとなぁと現場を離れて何かをを削がれ薄っぺらくなった私は自分に鞭打ち7年ぶりに京都へ戻った。2008年のことである。京都に戻るとそこは着物流通の中心。滅多にスーツを着ない奄美大島の文化とは打って変わって京都の呉服業界は皆スーツだった。

弁護するわけではないのだけれど、着物の流通業というのは荷物運びが多い。反物や帯だけでなく、小物や説明用の備品などが行ったり来たりする。特に集産地と言われる京都は問屋の数も多く、京都市内の納品は自力の配達である。配達専門の人もいない。営業が自ら配達し、時にはそのついでに次の商談を行って戻ってくることもあった。なかなかの重量がある箱を肩に担いで時には階段で車と売り場を往復するその仕事を洋服で行う事にさしたる違和感もなかった。無論洋服とはいえスーツは不向きは方だけれど、仕事なので、そういうものかという程度だった。小売店で行う大きな催事などでは荷物も沢山あるけれど、年間通してみると荷物運びの量はその比ではなかった。一週間ほど経って、ある先輩に「仕事はどうだ?」と聞かれ、「いや、まあ荷物を運んでいるだけなんで…」と素直に答えたら、その人の機嫌を損ねてしまったことを覚えている。

その一方で、着物が嫌いなのかしらと思うほどに余りにも着物を着る人は少なかった。着物が好きでやっている人はいたのだろうかと思うほど。催事でもスーツ、多少作務衣、そんな環境だった。「着物の着方を教えてくれないか」と言われたこともあって驚いたのは着物が着られないことへの驚き以上に、着物を着ようとする人がいるのだという驚きだった。

小売や製造以上に着るものと売るものが不一致な独特の価値観だった。女物と呼ばれる着物が圧倒的シェアだった一方で流通はおじさん一色。着物を持っていない、着られない人も沢山いた。それが当たり前の世界にぼんやりとした違和感を覚えたけれど、その時はまだ何もしていなかった。2008年はそんな時代だった。

荷物を運ぶおじさんの例 写真:枡儀たくま