投稿者:ウエダテツヤ
2001~2006年、着物小売店で働かせてもらっていたが、その頃は着物屋の店員でスーツは珍しくなかった。今もスーツで接客される着物屋は一定数あるように思う。確かに洋服の方が動きやすかったり、お店の考えもあるのかもしれないが、その時はとにかくそういう環境だった。
自分たちが着る物というよりは販売するもの。催しだけ着物を着る。私自身も初めはそんな感覚だった。店頭にいるとお客様から「あなたも着物着れば?」と言われる事がしばしばあった。そもそも格好良いスーツの着こなしに憧れて社会人生活が始まった私。新入社員当時からしばらくはスーツが好きだったので、そんな声に出会う度に言い訳した。そして次第に着物を着ない理由だけが成長していった。着られるというスキルにだけ満足していたが、それもほんの一歩を踏み出しただけ。その奥深さには気付かず自分が着ることにもさほどの興味を示さないまま、着物の販売に従事していた。自分が着ることと着物の販売が繋がるとも思っていなかった。
ただ、言い訳しながらいつも引っ掛かるものはあった。そして言い訳では解消されないまま無意識のうちに「小さな悔しさ」として降り積もっていく。結局年を追うごとに言い訳していることが嫌になった。スーツへの憧れも落ち着いたので着物販売の為というよりも自分を納得させる為にお店で着物を着る頻度が増えていった。
後に毎日着物を着るようになるきっかけもそうであるが、これは私の性質的なもの。ただ自分に納得したかったのだと思う。「着物を着ない店員」ではなく、「着物を(店で)着る店員」になりたかっただけ。だから、日々着物は着たけれど私服で出勤してバックヤードで着物に着替えていた。お店で着物を着ることが億劫になることはもはやなかったけれどプライベートで着ることもなかった。結局は仕事着であり、プライベートと仕事が繋がることはなかった。
着るには着た。けれど着物がまだまだ足りない着物販売員だった。