投稿者:ウエダテツヤ
(つづき)大島紬の伝統柄に「龍郷(たつごう)柄」と呼ばれるものがある。奄美大島龍郷町を起源とするその柄は菱形のような文様を基礎に様々な柄が存在する。
私がデザインに興味を持ったのはそんな龍郷柄をアレンジしたくてパソコンで描いてみたことがきっかけだった。前述したとおり絵には苦手意識があったけれど、PCは綺麗な丸や四角が簡単に描いたり消したりできる。図形を組み合わせて描いてみるとまるで伝統柄を分解して組み立てるようで面白かった。
そもそも大島紬のデザインは精巧でありながら絣による表現ゆえの制限がある。柄の大きさや繰り返しのルールなどを含め「白いキャンバスだけ」ではないその制限こそが逆にわかりやすく、私には良い入り口となって「面白い」と感じることができた。
以前は当社に図案室があり、大島紬専用のデザイン画を描く原図デザイナーも在籍していた。今は引退されたのだけれど、話を聞くのはもちろんのこと、デザインの過程を垣間見たり出来上がった製品と見比べたり、時には没になったデザインを見返したり出来る環境にあったことも大きかった。
素敵なデザインを原図士が描いたからといって製品化には採用されないことも多々あった。実はそこに絵の状態と生地との差異、デザインと着物との差異が存在している。製品化するかどうかを父が判断するのを隣で見ているのは面白く、また1年後ぐらいに答え合わせの様に製品が出来上がってくることで、私の中で絵から生地への変換がうまくいくようになった。
そんな中で龍郷柄を組み立てることから始めた私はやがて一つの柄まで辿り着き、幸いにも製品化されたことである種の達成感を感じることはできた。デザインに触れ身近なものと思えたのはそこに大島紬があり、デザインの現場があり、龍郷柄という素敵な伝統柄があったからだった。けれどやっぱり苦手意識は克服できないもので、それ以降は柄の簡単な提案程度で具体的なデザイン画を描くことはしなかった。結局大島紬のデザインは原図デザイナーと父を中心に時にスタッフの意見・発案も取り入れながら進んでいった。
そんな私だったけれど、Kimono Factory nonoの商品を考案する上で柄のデザインが必要になった。大島紬に頼れる人は沢山いたけれど、それは手掛けたことのない新しい商品だった。(つづく)