寄稿128 西洞院通と天使突抜通/ 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美 編集:枡儀

西洞院(にしのとういん)にご縁をいただいてどれくらい経つのだろうか。40年ほど前、浴衣の洗濯で四条西洞院にあったクリーニング屋さんから始まったのは確かだ。今はマンションに変わってしまったが、その近くに事務所が引っ越してくるなんて思いもしなかった。以前は、四条烏丸から室町、離れても新町までが近くて便利、西洞院といえば少し遠い感覚があったが、利用し始めると案外近いと考えは一新した。(※橋本氏の事務所は西洞院通にある)

京都市バス50系統が15分刻みで来てくれるのだが、京都に市電があった頃、この狭い通りに市電が走っていたそうだ。調べてみると、明治38年(1905)から昭和36年(1961)まで、京都駅から北野天満宮まで、京都電気鉄道(いわゆるチンチン電車)が走っていた。道幅が狭いため、軒下すれすれに走る市街電車はスリルに富んだものだったと当時の様子を報じている。四条通より北、蛸薬師通までは道幅は広くなる。そこからは一方通行となり、北へ向かうには一度、西に折れるしかない。さらに驚かされたのは、明治の中期頃まで道に沿って西洞院川が流れ、その水を利用して染色業や製紙業が発達したと記録にある。そういえば、現在も染色関連の企業が残る。

北は今出川通の手前、武者小路通まで続く西洞院。南へ、四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、五条と下がって行くと、子どもたちの元気な声が聞こえてくる綾西公園、菅大臣神社、五条天神社と続く。五条通を越えると、九条、十条まで続く。

西洞院通に沿って一本西に、天使突抜通(てんしつきぬけどおり)がある。ここでいう天使はキリスト教のエンジェルのことではなく、かつて五条天神社は「天使の杜」と呼ばれていて、その境内を突き抜けで開設されたための名称といわれる。この神社を過ぎると、近くに西本願寺や東本願寺にある関係で寺院が目を引く。六条の親鸞聖人像に挨拶して、七条通、木津屋橋通まで続く。それにしても凄い通り名、なかなか素直に読めない漢字だ。

菅大臣神社
五条天神
天使突抜通