寄稿117 新京極へ遊びに行こうか。 / 京を歩く

京を歩く寄稿記事-ことばの遊園地-

寄稿者:橋本繁美

かつては、大阪の千日前、東京の浅草と並んで、日本の三大盛り場のひとつに数えられたという新京極。もともとは誓願寺や金蓮寺(こんれんじ)の門前町で、明治になって京都に活気を取り戻す構想によって繁華街となった。新京極といえば大群衆が通り抜けるところで、なかでも全国からの中学生・高校生の黒い制服、紺のセーラー服が必ずといってもいいほど訪ねる界隈だった。京の土産を商う店や若者相手のおしゃれ品を扱う店が多い。だが、最近は就学旅行の形態が変化し、残念ながら制服姿はあまり見られない。その分、地元の人や旅行者が行き交うがちょっぴり寂しい。

四条通から入ると右手に阪本漢方堂があり、幼い頃よりショーウインドウのマムシが怖かった。そしてロンドン焼の店、酒処スタンド…。少し入ったところに美松会館や成人映画の八千代館があった。いまは三条に近いMOVIX京都しかないが、新京極界隈には多くの映画館があった。むかしは吉本の花月劇場もあった。新京極公園で若手が漫才の練習風景が見られたものだ。その向かいのお好み焼きも忘れられない。もっと古いところでは、落噺の祖といわれる誓願寺や、道場芝居といわれる芝居小屋が金蓮寺や、見世物小屋が多く並び、庶民の楽しみ刺激を揺さぶる魅惑的な通りだったと記録にある。明治10年ぐらいには、芝居座3軒、浄瑠璃3軒、寄席3軒、身振狂言3軒、見世物12軒、ちょんがれ祭文2軒、大弓9軒、半弓3軒、楊弓15軒、料理11軒、牛肉2軒、煮売屋・蕎麦屋・茶店29軒、このほかに饅頭・菓子・人形・小間物・小鳥の店々があったと資料にあった。どこからか「新京極へ遊びに行こうか」の声が聞こえてきそうだ。

そういえば、かなり前の話だが新京極商店街組合の冊子で、化粧品の「左り馬」の井上さんに大変お世話になった。あのとき、アーケードの上から撮影したこともあった。歩いて各店を取材すると、さすが150年という歴史のあるところだけに、興味深い話が聞けたことが多かった。そういえば、コピーライターの駆け出しの頃、ダイアモンドビルへ何日も出かけて「みんなで作ろう顔カレンダー」という企画でシャッターを押していたのも新京極だった。また、この近くに友人がいて、夜遅くに歩いた記憶も残っている。時代は流れて風景は変わって、やはり新京極はわくわくする通りだ。