寄稿者:橋本繁美
頭で見るな、カラダで知れ、その声を聴け
いま京都dddギャラリーで、アートディレクター「石岡瑛子・サバイブ展」が開かれている。といっても、グラフィックデザインや広告に興味ない人にはわかりにくいかも知れない。代表作を紹介すると、「太陽に愛されよう 資生堂ビュティケイク」資生堂ポスター(1966)、「ホネケーキ以外はキレイに切れません 資生堂ホネケーキ」資生堂(1964)、「女性よ、テレビを消しなさい 女性よ、週刊誌を閉じなさい」角川文庫ポスター(1975)、「あゝ原点」PARCOポスター(1977)、「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」PARCOポスター(1976)、「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」PARCOポスター(1979)、「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」PARCOポスター(1975)など。著作権の関係でビジュアルは出せないが、作品を見られたら知っているという方も多いと思う。
広告やグラフィックデザイン、エディトリアル、レコードなど、石岡瑛子さんのアートディレクションが、宝石のように輝いている展覧会だ。「ホネケーキ以外はキレイに切れません」のコピーは秋山昌さん。キューピーマヨネーズやサントリ―山崎など、コピーライターの大巨匠だ。『日本のグラフィック100年』(山形季央著 バイ・インターナショナル刊)に石岡さんとの仕事のやり方、彼女のデザインに対する熱意が語られていたのを思い出した。
瑛子さんの強さと柔らかさ、情熱と知性。鑑賞するのではなく、カラダで知れ、その声を聴け。混沌とした時代に、立ち向かう勇気とエナジーがもらえるから。
パンフレットの解説:川尻亨一より抜粋
12月18日まで。京都dddギャラリー 京都市右京区太秦上刑部町10
滅茶苦茶と無茶苦茶
毎日ご飯を食べ、お茶を飲む。「日常茶飯事」ということばがあるように、日本人にとって、日常生活にお茶は切っても切れない関係にある。昔から茶のないことを「無茶」といい、尋常ではなく混乱した様子、普通でない状態、台無しになってしまった状態を意味する「滅茶苦茶」ということばがある。よく似たことばに「無茶苦茶」がある。でたらめで筋道が立たず、普通でないこと。程度がはなはなしいことをいい、両方とも意味的には、ほぼ同じみたいだ。また、家族が集まる部屋を「茶の間」といい、「茶化す」というのは、冗談にしてしまう、ひやかす、からかう、ごまかすの意。「おかずがない時に茶漬けでごまかす」ところから生まれた表現だという説もある。個人的には「もう滅茶苦茶でごじゃりまするがな」の台詞で一世風靡した花菱アチャコを思い出す。
ま、それはさておき、京でお茶といえば宇治茶。宇治茶の源となったのは、栂尾山高山寺(とがのおさんこうざんじ)にある茶畑で、ここから宇治にもたされたといわれる。宇治川の朝霧が良質のお茶の栽培に適しており、長い歴史を経て“お茶は宇治”といった高級茶のブランドとなっている。茶席の一服もいいが、急須に入れていただくお茶のひととき。喉だけでなく、茶の香りとともに心がなごむ。やはり、日本人にはお茶がよく似合う。