投稿者:ウエダテツヤ
前回就職の話をしたが、その前に言っておかなくてはならない事がある。成人式について、である。
何を隠そう、私はスーツで行った一人だ。当時はスーツ姿の方が多かったように思う(私の周りだけかもしれない)。だから、という訳ではない。ただ何となく面倒臭かったのだ。
「黒紋付着いひんの?」と母には聞かれたが「別にええわ」と素っ気なくお断り。だからといって他に何か買ってくれという、そういう理由でもない。極度の"面倒臭がり"だった(今も)。着られないし、知らないから面倒臭い。着せてもらって動きにくそうで。そんなイメージがあった。
勿論ちょっと格好良いなという思いはあったけれど、「面倒臭い」が勝利を収めていた。完全勝利でなかったのは心にチクリと刺さるものがあったからだ。成人式という一度きりの機会に対するこんな自分に。しかも会場に「行った」だけで参列したわけではない。成人式会場に入るために事前予約が必要だったが、何となく予約しなかった。恥ずかしい話であるが、学生の時の私はいつも「確固たるものがある」風に振舞おうとしながら、ただ逃げ腰に何となく生きていた。完全に大人に憧れた子供であった。
とはいえ、そんな思いも成人式の話題が出ない限りは思い出すこともなかった。結果、スーツで会場付近を無意味にウロウロして帰宅。私の成人式はスーツで散歩だった。
13年後には黒紋付を誂えることになるのだが、この時はまぁいいかと思ったのだ。成人というのだからその決断には責任がある。けれど機会があればいつか紋付の素晴らしさを若者に口煩く説いてみたい。生涯大切にするであろう第一礼装は他の着物にはない良さがある。少なくとも13年後にあの時作っておけば良かったと私は思った。あの頃つくっておけば、あの頃の自分も背負えたのではないか、とそんな風に思ったのだ。
誰がお金を出すのかはそれぞれの家庭事情もあるだろうが、成人の祝に紋付を誂えるというのは感慨深いものがあると今ならわかる。
自分の家紋を背負って式に臨む。人生はすべて大切な時間ではあるけれど、黒紋付を着るとき、そこにはすごく特別な時間が流れている。
なんて言いたいところだが、当時の私にすればやっぱり口煩いのだろう。「うるさいなぁ、いらんて言うてるやん」と言われるのが想像できる。